7時前にチェックアウト。
夕べのお寿司でおなかがいっぱいのままなので、ホテルそばのセイコーマートにいっておにぎりとヨーグルトの、車中朝食。斜め前にホテルが見える。お世話になりました。
また朝から雨。
函館で今回行ってみようと計画していた五稜郭ならぬ四稜郭へ。
上から見ると蝶が羽根を広げたような形になる。
五稜郭の背後を守る役目だったけど、それにしてはずいぶん五稜郭から離れているような。結局五稜郭と四稜郭の間にある権現台場(東照宮)を占領されて、五稜郭に戻れなくなる前に戻れ!ということで敗走。
箱館戦争のときに突貫工事で作った。建物はないので野戦用の簡単な要塞といった風情。土塁と空堀の様子はよく保存されている。
四隅には斜めになった砲台跡も。
四稜郭と書いた石碑の正面が植え込みで隠れてしまっていたのが残念。角度を変えてくれないかな~。
思ったより広かった。調べたら約2万平方メートルだって。遮るものがないので雨でよかったかも。暑かったらたまんなかっただろう。
ハセガワストアに寄ってお土産の美鈴コーヒークッキーと、ホットコーヒーを買う。広いイートインもあり、トイレもきれいでこんなお店が近所に欲しいなと思うのだった。ここにはTシャツやお弁当箱といったハセガワストアグッズが充実していた。
土方歳三最期の地、といわれるところへ。小さな看板とナビを頼りにたどり着いたのは緑地公園。
撃たれて絶命した場所については所説あるのだが、一本木関門が一番有力らしい。この近くに関門があったので、緑地に関門が再現されていてその傍に石碑と例のかっこいい写真が置かれていた。この辺かあ~。五稜郭からずいぶん出てきたなあ。弁天台場まで行こうとしたんだね。
福島出身の友人のご先祖様(女性)が土方さんと会ったことがあって、そのときの話が代々彼女の家に伝わっているのだが、友人が伝え聞いたところによると
「本当にかっこよかった。とにかくかっこよかった。怪我をして逗留していたのだがそれでもかっこよかった。交替でよく土方さんをのぞき見に行った。それぐらいかっこよかった。あんたたちが想像つかないほどかっこよかった」
とのことなのでかっこよかったんだねえ、と思っている。ご先祖様は宿屋で働いていたらしい。そこに宇都宮から土方さんが怪我をして運ばれてきたときのことのようだ、と友人が言っていた。土方さんはいろんなところで戦争をしてきたので、各地にこのような証言があるに違いない。
と、ネコが小雨のなかぷらぷらとお散歩。すかさず「歳三」と命名。なかなかの面構え。
さて今回の函館はここまで。また来るね~。行けなかったところがまだまだたくさん残っている。
横断するように国道を走って、勝山館跡へ。
15世紀後半の山城。まずは立派なガイダンス施設で全容を把握。それにしても広いなこれ。ちょこっと歩いて終わりにしようと決意。そのためガイダンス施設でビデオをじっくりみて勉強。これがまたヒノキの香りのするすばらしい施設である。
お勉強のあと歩き出す。ガイダンス施設は墳墓群のそばにあるのでまずはお墓を突っ切ることになる。松前藩主の藩祖武田氏の作った城なのだが相当数のアイヌのお墓があって、アイヌに攻撃されたこともあったけれど共存していたことが発掘などによって分かってきたそうだ。
全貌はこんな感じ。ひろっ。
森の中を抜けていくと整備された道が。ちなみにあまりに寒くて函館の無印でシャツを買いました。
遠くに上ノ国八幡宮本殿の鳥居が見えた。おがむ。
館神八幡宮跡があり、まだまだ先があるのだが、この辺で撤退することに。
へびもにょろにょろ。
あまり天気はよくなかったが日本海が見えた。
日本海を見ながらドライブし江差へ向かう。うーん、どんより。
来ました、にしん街道!
港のえさし海の駅に車をとめて、5分ほど歩くと姥神神宮に着いた。この横山さんとは、これから行く予定の横山家の方かな?
こいのぼりではなくにしん幟がはためいていた。
すぐそばの江差横山家へ。廻船問屋のお宅で200年はたっている。が、この手の建物は相当見てしまったので今回はこの中でいただけるというにしんそばをお昼ご飯に。
このような昔のお金持ちのお宅でにしんそばを楽しむのである。
窓が網戸になっていて涼しい風が入ってくるが「寒かったら閉めて下さい」と言われる。確かに寒くなってくるほどの空気の冷たさ。でもこれを求めてはるばるやってきたのだ!寒くてうれしい。
運ばれてきたにしんそばは海苔がかかっていた。海苔かかってるの初めてだ。あとはおつゆが濃い色。京都のにしんそばと明らかに違う。海苔もあうもんだなあ。
メニューはにしんそばか、にしんそば大盛のいずれか。お会計のときお代を知ったが1杯1,000円であった。うちの近所の蕎麦やのにしんそばが確か1,050円だから、東京値段…?いえ雰囲気もあるので文句ない。
いにしえ街道というきれいに整備された昔風の通りを歩いてみる。綺麗に壁を塗りなおした蔵が美しい。道新の江差支局もあった。
土蔵にはなんと自転車屋さん。
海が見下ろせる高台へ向かう。今は資料館になっている建物の前に松の木がある。
よっこいしょ。
その松は開陽丸が沈んでいくのを見た土方歳三が悔しがって叩いたらそこから曲がってしまったっていうので土方嘆きの松と言われているそうだ。
ちなみに松の下が喫煙所。
へー…。確かに海はよく見えた。そらあ悔しかろう。しかも天気の急変で座礁だもの。松に八つ当たりしたくなるってもんだ。
江差八勝っていうものを初めて知った。
ここに軍艦が勢ぞろいしたときは勝ったって思ったはずなのにねえ。
いい具合な町並みを歩きながら港へ戻る。途中、アネロイド式気圧計なるものを見つける。はて…?これで天気を見ていたんだそうだ。昭和三年にたてられたもので当時は個人で気圧計は持っていなかったのでこれをみてシケとか晴れとか天気の予測をたてて漁に出た。
海の駅に戻り、復元された開陽丸見学。
思っていたよりずうっと大きい船でびっくりした。どうやっても全体像をカメラにおさめられない。大砲をたくさん積んだ軍艦なんだから当然か。
大砲発射体験コーナーで発射を学ぶ。番号は書いてあるが号令のタイミングに合わせてボタンを押さないと発射されない。無事発射されまして。発射までの工程の多さったら…。
ガトリング銃も置いてあった。
海中から引き揚げた大砲の弾がたくさんあって、「触ると手が汚れます」の注意書き。
作戦会議の図。
よみがえる軍艦・開陽丸というビデオがあったんだがこれがもう相当古い。さらに古い幕末の話を解説しているのでいいんだけど、画像も傷んでいて沈没した船ゆえに哀しくなる。
甲板に出てみる。帆ははっていないもののマストが高くってかっこいい。黒船来航で腰を抜かしていたのに、あっという間にこんな船を操るようになったとは日本人の適応力すごい。
外に出て引き上げられた大砲やら船の壁やらを眺める。すんごいでっかいシャフトがあった。これが動くときはさぞや勇壮であろうに、もったいないことをした。
海の駅で五勝手屋羊羹やにしんの甘露煮などを買って出発。
江差にもラッキーピエロがある。アイスでも食べようと車をとめて店の前に行ってみると行列。昨日行列したので今日はスルー。
しばらく走ってセイコーマートでアイスクリームを買って休憩。
本日の宿は銀婚湯。お風呂がいっぱいあるのだが、夏はアブとの闘いらしい。いざ。
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